昔… フランスに
母親に厳しく 精神論を叩き込まれて育った
一人の真面目すぎる男の子がおりました。
立派なイケメン(^~^)に成長した或る日
青年は日本の武道に出会いました。
彼は 日本語も話せないまま単身 来日
八光流 本部道場の門を叩きました。
そして そこで一人の日本人青年と出会うのでした。
この広い地球上で
フランスと加古川で生まれた二人が
埼玉で出会う……
Destiny!だったのでしょう。
二人は互いに切磋琢磨し
技と 治療の腕を磨きました(青春やな…)
しかし ここで一旦 二人の道は別れてゆきます。
一人は 最愛の父親の危篤の知らせを受け 生まれ故郷 加古川へ
一人は フランスへと帰って行きました。
けれど二人は それぞれの地で
自らの技を磨くべく さらなる精進を続けたのでした。
長い長い…30年近い月日が流れ
今から3年前
やっと二人が再会すべき時が巡って来たのでした。
第一部 完 (^ー^)
こんにちは Yですよ
ここからは私も知っています(’-’)
お察しの通り~
加古川生まれの一人は吉岡院長で
もう一人は 院長の大親友~
フランスに Shi a tu(指圧)を広め 大成功し
フランスへ バレエ留学に来ていた京美人を奥様に迎え
3人の子を儲け…(ハーフやから 超きゃわうぃ~ねん!)
けれど 妻と子のために 家族で永住することを決め
再び日本にやって来たのでした
再会の日
京都まで行った私達を 車で迎えに来てくれました
ドキドキして待つ私達の前に現れたのは~
ちょっと 太って
ちょっと 髪が薄くなって
でも 変わらずイケメンな彼でした
彼には その後 何度か お会いしましたが
私には なぜか
あの日 車から降りてきた彼の姿が 一番 印象的です
今となっては 私の心に
まるで映画の1シーンのようになって 焼きついてしまいました
なぜなら彼は 突然 逝ってしまったからです
愛する妻も子も そばに おらず
まだ 言葉も ままならぬ異国で
たった一人の部屋で…
彼の心の痛みが どれほどであったかを思うと
今も 涙が出ます
院長の悲しみは なおのことで…
大変な嘆きようでした
連絡を密に取ったり…
もっと会いに行ったり…
フランス語を覚える努力をしたり…
もっと 自分に出来ることが有ったのではないのか?と
自分を責めているようにも見受けられました
ちなみに 奥様の話では
フランスには【死後】と言うような概念は無く(そりゃそうだな)
「死んだらおしまい」って感じだそうで…
お墓も… もちろん仏壇も 有りませんので
「何に向かって手を合わせれば良いの?!」
って 戸惑いましたが…
まぁ 歌にも
♪私のぉ~お墓のぉ前でぇ~泣かないで下さいぃ~
そこに~私は~居ません~♪
って 言ってるしな…と思って
彼を思い出しては 心で手を合わせています(合掌)
今 院長は 残された彼の3人の子供達を
大変(我が子のように)可愛がっています
先日の 彼の末っ子の誕生日には
ローラーブレード(?)だかを探しまくっていました(笑)
亡くなった親友への 罪滅ぼしのようにも見えました
最後に一つ…
みんなで食事した時
「院長からは よく 「フランスに親友がいる!」 と聞いていたけれど
フランス語 話せない日本人と
日本語 話せないフランス人で…
おまけに 30年近く 全く連絡も取らず
ほんまに 友達なん~?」 (¬_¬)
なんて 意地悪なこと聞いたら~
二人とも 声をそろえて
「心と八光流で繋がってる!」って 言ってました
「男の人の友情って すばらしいなぁ」と
感動したのでした~(^~^)
完
母親に厳しく 精神論を叩き込まれて育った
一人の真面目すぎる男の子がおりました。
立派なイケメン(^~^)に成長した或る日
青年は日本の武道に出会いました。
彼は 日本語も話せないまま単身 来日
八光流 本部道場の門を叩きました。
そして そこで一人の日本人青年と出会うのでした。
この広い地球上で
フランスと加古川で生まれた二人が
埼玉で出会う……
Destiny!だったのでしょう。
二人は互いに切磋琢磨し
技と 治療の腕を磨きました(青春やな…)
しかし ここで一旦 二人の道は別れてゆきます。
一人は 最愛の父親の危篤の知らせを受け 生まれ故郷 加古川へ
一人は フランスへと帰って行きました。
けれど二人は それぞれの地で
自らの技を磨くべく さらなる精進を続けたのでした。
長い長い…30年近い月日が流れ
今から3年前
やっと二人が再会すべき時が巡って来たのでした。
第一部 完 (^ー^)
こんにちは Yですよ
ここからは私も知っています(’-’)
お察しの通り~
加古川生まれの一人は吉岡院長で
もう一人は 院長の大親友~
フランスに Shi a tu(指圧)を広め 大成功し
フランスへ バレエ留学に来ていた京美人を奥様に迎え
3人の子を儲け…(ハーフやから 超きゃわうぃ~ねん!)
けれど 妻と子のために 家族で永住することを決め
再び日本にやって来たのでした
再会の日
京都まで行った私達を 車で迎えに来てくれました
ドキドキして待つ私達の前に現れたのは~
ちょっと 太って
ちょっと 髪が薄くなって
でも 変わらずイケメンな彼でした
彼には その後 何度か お会いしましたが
私には なぜか
あの日 車から降りてきた彼の姿が 一番 印象的です
今となっては 私の心に
まるで映画の1シーンのようになって 焼きついてしまいました
なぜなら彼は 突然 逝ってしまったからです
愛する妻も子も そばに おらず
まだ 言葉も ままならぬ異国で
たった一人の部屋で…
彼の心の痛みが どれほどであったかを思うと
今も 涙が出ます
院長の悲しみは なおのことで…
大変な嘆きようでした
連絡を密に取ったり…
もっと会いに行ったり…
フランス語を覚える努力をしたり…
もっと 自分に出来ることが有ったのではないのか?と
自分を責めているようにも見受けられました
ちなみに 奥様の話では
フランスには【死後】と言うような概念は無く(そりゃそうだな)
「死んだらおしまい」って感じだそうで…
お墓も… もちろん仏壇も 有りませんので
「何に向かって手を合わせれば良いの?!」
って 戸惑いましたが…
まぁ 歌にも
♪私のぉ~お墓のぉ前でぇ~泣かないで下さいぃ~
そこに~私は~居ません~♪
って 言ってるしな…と思って
彼を思い出しては 心で手を合わせています(合掌)
今 院長は 残された彼の3人の子供達を
大変(我が子のように)可愛がっています
先日の 彼の末っ子の誕生日には
ローラーブレード(?)だかを探しまくっていました(笑)
亡くなった親友への 罪滅ぼしのようにも見えました
最後に一つ…
みんなで食事した時
「院長からは よく 「フランスに親友がいる!」 と聞いていたけれど
フランス語 話せない日本人と
日本語 話せないフランス人で…
おまけに 30年近く 全く連絡も取らず
ほんまに 友達なん~?」 (¬_¬)
なんて 意地悪なこと聞いたら~
二人とも 声をそろえて
「心と八光流で繋がってる!」って 言ってました
「男の人の友情って すばらしいなぁ」と
感動したのでした~(^~^)
完