おはよございますぅ Kiyです
台風の近づく 白い朝です
いつも お酒や食事の軽~い内容ですが
せっかくの暗い朝なので~ 今日は重い話をしてみましょう
先日 国内初の6歳未満の子供からの臓器移植が行われましたね
お子様を亡くされた親御さんの悲しみは いかばかりでしょう
子を持つ 一人の親として心より… 心中お察し申し上げます
ですが
【臓器の提供を受けた方】の親御さんの喜びも充分 理解できるだけに…
このニュース
とても平静な気持ちでは見ることが出来ません
皆様
臓器移植についてのお考えは まとまっていらっしゃいますか?
もし 「今まで考えた事も無かった」というなら…
それは とっても幸せなことです
家族に 脳死宣告され臓器提供をした方がおらず
また 移植を待つ病気を持っている側でもなかったのでしょう
その時
息をする度 胸が盛り上がり
触れれば まだ暖かく
いくら それを 「生命維持装置のせいだから」 と言われても
亡くなっているのだと 受け入れられるでしょうか
また
どこかの誰かの臓器提供を待たなくてはならない苦しみは
私にとっては さらに想像できません
例えば もしも もしも もしもぉ~
或る日 あなたの大切な
親が… 兄弟姉妹が… 夫が… 妻が…
そして 最も辛いであろう 我が子が…
突然 逝ってしまい
財布から
免許証と共に
臓器提供カードが出てきたとしたら?
なぜ この例を挙げたかと言うと~
私が いつも財布に 免許証と共に
【臓器提供意思表示カード】を 持ち歩いているからです
………ですが まだ無記入のままです
なぜなら 当然のことですが~
私だけの問題ではないからです
私は 好きなようにすれば良いだけなのです
でも それを押し付けられ 受け入れざるを得なず 苦しむのは
残された家族でしょうから…
それを知らしめるのは 私の中の矛盾です
私の体なら 提供できる
でも 子供の体は 提供できないかも…
私が病気なら 移植は要らない
だけど 子供が病気なら?
じゃあ私は 親でもあるが 子でもあるわけだから
私が 臓器提供したり 移植を拒む事は
親を苦しめるのか?
子供たちには
「親を喪った悲しみの上に
さらに 親の体を提供する苦しみをも
我が子に残して逝って良いのか?
我が子は それを乗り越えられるのか?」
な~んてことを考えては
「まぁ取りあえず 二人共が20歳を過ぎてからにしよう」
と 先延ばしにしているような次第です (ー-ー)
だけど それは今日明日 やって来るかも知れませんからね
人間 「いつかは死ぬ」って解かっていても
そのいつかは 「今かもしれない」 とは思わないのが
ファジーな脳みその有り難い所です
誤解の無きよう 書き添えますが
吉岡接骨院として
決して 移植をお勧めしているわけではありません
また 反対しているのでもありません
しいて言うなら 【家族で話してみること】 をお勧めします
それぞれの人生観
病気
宗教
命の問題は
たとえ家族であっても 違うこともあります
脳死状態になった時
提供しても良い
しなくても良いんです
移植が必要な病気になった時
移植を望んでも良い
拒んでも良い
加えて まだ決定できていなくても良い
「どちらかが正しい」 と言うわけじゃないので
自分の考えを押し付けることも出来ませんが
相手が どう思っているのか聞くのは いいことです
怒り出す方 泣き出す方も おられるかも知れませんね
まずは 話してみるのが第一歩
待合室に
臓器提供のパンフレット&意思表示カード
が置いてありますので お持ち帰り下さい
それを話のきっかけに してみてはいかがでしょう
台風の近づく 白い朝です
いつも お酒や食事の軽~い内容ですが
せっかくの暗い朝なので~ 今日は重い話をしてみましょう
先日 国内初の6歳未満の子供からの臓器移植が行われましたね
お子様を亡くされた親御さんの悲しみは いかばかりでしょう
子を持つ 一人の親として心より… 心中お察し申し上げます
ですが
【臓器の提供を受けた方】の親御さんの喜びも充分 理解できるだけに…
このニュース
とても平静な気持ちでは見ることが出来ません
皆様
臓器移植についてのお考えは まとまっていらっしゃいますか?
もし 「今まで考えた事も無かった」というなら…
それは とっても幸せなことです
家族に 脳死宣告され臓器提供をした方がおらず
また 移植を待つ病気を持っている側でもなかったのでしょう
その時
息をする度 胸が盛り上がり
触れれば まだ暖かく
いくら それを 「生命維持装置のせいだから」 と言われても
亡くなっているのだと 受け入れられるでしょうか
また
どこかの誰かの臓器提供を待たなくてはならない苦しみは
私にとっては さらに想像できません
例えば もしも もしも もしもぉ~
或る日 あなたの大切な
親が… 兄弟姉妹が… 夫が… 妻が…
そして 最も辛いであろう 我が子が…
突然 逝ってしまい
財布から
免許証と共に
臓器提供カードが出てきたとしたら?
なぜ この例を挙げたかと言うと~
私が いつも財布に 免許証と共に
【臓器提供意思表示カード】を 持ち歩いているからです
………ですが まだ無記入のままです
なぜなら 当然のことですが~
私だけの問題ではないからです
私は 好きなようにすれば良いだけなのです
でも それを押し付けられ 受け入れざるを得なず 苦しむのは
残された家族でしょうから…
それを知らしめるのは 私の中の矛盾です
私の体なら 提供できる
でも 子供の体は 提供できないかも…
私が病気なら 移植は要らない
だけど 子供が病気なら?
じゃあ私は 親でもあるが 子でもあるわけだから
私が 臓器提供したり 移植を拒む事は
親を苦しめるのか?
子供たちには
「親を喪った悲しみの上に
さらに 親の体を提供する苦しみをも
我が子に残して逝って良いのか?
我が子は それを乗り越えられるのか?」
な~んてことを考えては
「まぁ取りあえず 二人共が20歳を過ぎてからにしよう」
と 先延ばしにしているような次第です (ー-ー)
だけど それは今日明日 やって来るかも知れませんからね
人間 「いつかは死ぬ」って解かっていても
そのいつかは 「今かもしれない」 とは思わないのが
ファジーな脳みその有り難い所です
誤解の無きよう 書き添えますが
吉岡接骨院として
決して 移植をお勧めしているわけではありません
また 反対しているのでもありません
しいて言うなら 【家族で話してみること】 をお勧めします
それぞれの人生観
病気
宗教
命の問題は
たとえ家族であっても 違うこともあります
脳死状態になった時
提供しても良い
しなくても良いんです
移植が必要な病気になった時
移植を望んでも良い
拒んでも良い
加えて まだ決定できていなくても良い
「どちらかが正しい」 と言うわけじゃないので
自分の考えを押し付けることも出来ませんが
相手が どう思っているのか聞くのは いいことです
怒り出す方 泣き出す方も おられるかも知れませんね
まずは 話してみるのが第一歩
待合室に
臓器提供のパンフレット&意思表示カード
が置いてありますので お持ち帰り下さい
それを話のきっかけに してみてはいかがでしょう