ヨガ3  無念無想 

今日はヨガの話

多くの人が思っているヨガは
【本来のヨガ】の為の準備体操の部分

本当のヨガは
「本来の自分とは何か」を知る術(すべ)であり
本来そなわっているはずの能力を使おうとする手段

それを開発する為の行法瞑想ヨガであり
「ヨガとは瞑想すること」であると言っても過言ではない。
という所までを話しました。

では どのように秘めたる能力を引き出し
人としての第2バージョン(笑)に進んで行くのか?!
話を続けて行きます。


まずは!!
全てを消し去ります。















前回(ヨガ2)
「アボリジニの人々はテレパシーで話せる」という例をあげました。
もし 「あなたにも同じ能力が在るんですよ」と言われたとしたら?

フィギュアの高橋選手のように「あなたにも4回転が飛べます」と言われたら?

「えぇ~? うそや~ん! 無理~」と思ってしまうでしょう。
あなたは自分を「ソレは出来るけどコレは出来ないくらいの人
自分で決め付けているのです。

般若心経では「無ケイゲ故 無有恐怖」(パソコンでは変換できない字ばっかりです)
の部分にあたるのかも知れません。
ケイは ひっかかる
ゲは さまたげるの意味だそうですので
「心の引っかかりが妨げている。」
心にこだわりが無ければ不安も恐怖も無いのだということでしょうか。

いくら「やれば出来る!」と心に上書きしたところで
その底に「テレパシーってホントにある?」との疑いが消せないなら
上書きは無意味
在るはずの能力も出て来ることはないでしょう。

なので
まず この一切の邪魔なものを消す!!

前に述べたように
「自分を出来なくしているのは自分」なのですから
邪魔なもの…それは すなわち自分自身なのです。
出来ないと思ってしまう「思考する自分」とも言えるでしょう。















脳は勝手に思考します。
静かな場所に心穏やかに座ったとしても色んな事を考えます。
「あぁ~ お腹すいた」
「晩御飯なに食べよう?」
「あ…車の音」
「お母さん帰ってきたな?」
「そうそう 頼んでた郵便局 行って来てくれたかな?」
「まだ怒ってるかなぁ…」
  :
  :
  :
尽きることはありません。(笑)
それは心の動きと呼んでもよいでしょう。


それを全て消し去ることが出来る状態
禅では【禅定】と言い
仏教では【三昧】 (贅沢ざんまいの三昧です!笑)
あるいは【サマディ】とも言います。

心を制御し
既成の概念を消し去り
心と体が深い静寂に包まれている
全ての感覚 これ以上無いと言うほど覚醒されていながら
心は何も考えていないと言う状態

まずはそこに行き着いてこそ
次なるステージが始まるのです。

「いきなり難しい!」と思われたでしょうか?
ですが その為の方法がちゃんとあるのです。

「今日やって明日わかる」というものではないかも知れません。
けれど中には
「今日やって今日わかった!!」という人もいるのかも知れません。
それほど日常の中では開発されることがないものなのです。

かく言う私も 時間が必要な者の一人です。


では この具体的な方法については
また次回。


ヨガ教室 始めました。
関西瞑想ヨガ協会もやってます。