こんにちは
今日もYがお伝えいたします
先日の続き
帯津良一先生の「芦屋養生塾 あっぱれ、大往生」です
「生き方」を説く講演会は多いと思いますが
「死に方」について それも と~っても楽しくお話されるのが面白い♪
そして大変考えさせられるものでもありました
2時間に渡るお話でしたが お聞きになりたい方は
来年も開催されるそうですので是非ご参加ください!
http://japannaturopathy.org/
(私も 情報が入れば こちらで告知して行こうとは思っております)
さて ここでは 【往生(死ぬこと)】 と 【養生(生きること)】について
私の感想を書かせて頂きますね
タイトルにある「大往生」ですが
皆さんのイメージは どんなものでしょう?
平均年齢を適度に過ぎ
過度な延命治療で管やチューブだらけにされるよりは 自宅が良い
看病や医療費…家族に迷惑をかけたくないので治療期間は長過ぎず
けれど ほんの少しの覚悟や別れができるよう突然過ぎず
配偶者や子や孫に囲まれ
「幸せだったよ」などと最後に一言残すことができ……
そんな感じでしょうか?
でもそんな亡くなり方の出来る人は どれほど数少ないことでしょう
多くの方が病院で亡くなります
入院や介護・施設の問題は今や重要案件です
事故死は必ず突然です
「結婚や子供」は昔と違い 誰もが手にあるものでなくなりました
そういえば こんな話を家族や友達と あまりした事がありません
帯津先生いわく
「自分の死に方をよ~く考えておくように」 とのことでした
「それも一つじゃだめだよ~ 当たらないから~」(笑)
「いくつも考えておくと 死に直面した時
『あぁ…第3希望のヤツだったかぁ…』なんて思えるから~」
だそうです…(^^;)
映画がお好きだそうで
「カサブランカ」や「駅馬車」のラストシーンになぞらえて
「かっこいい最後」についてのお話をされ
帯津先生の「美学」みたいなものを垣間見ることもできました
また著書や雑誌、テレビで多くの方と対談されたご経験から
数々の著名人の… また、ご自身の「理想の死に方」についてもお聞かせ下さいました
中でも面白かったのが 落語の立川談志さんとの対談
談志師匠は「ガン」とか「脳梗塞」と言った たいそうな病気ではなく
「ふとした病気で死ねのがいい」とおしゃったそうですよ
らしいような らしくないような…?(^^;)
じゃぁ~ 帯津先生は?というと
「うちのアパートのエレベーターは小さいので遺体を横には出来ない
遺体を立てて運び出されるのはどうもね…」
だから ご自宅では死にたくないのだとおっしゃっていました(^^;)
道端で「のたれ死に」が良いのだそうです
また「行きつけの居酒屋ののれんの前で死んでいるのも良いねぇ」 なんておっしゃいます
すると談志師匠が
「それは へ~るめぇ~かい? け~るときかい?」と聞かれたそうです
(^▽^)d
江戸っ子ですねぇ~
かっこいいですねぇ~
通訳すると「入る前か 帰る時か?」ってことですが(笑)
「もちろん入る前だよ!」
「今日は何をあてに飲もう?」
「湯豆腐と……初ガツオは入っているかな?」と
戸口に手をかけたその刹那!バッタリと倒れるのが良いのだそうです(^^;)
「初ガツオ入ってるかな?」と考える その時の【ときめき】
これが命にとって とても大切なのだそうですが このお話はまた次回
(鰹 お好きな様で…。 その後のお食事会でもオーダーされていましたね)
また ご自分達が病院で行っておられる治療 それを
「所詮 途中経過でしかないのだ」とも おっしゃっていました
なぜなら たとえ病気を治したとしても… いずれは 死ぬからです
避けることなどできない…
だからこそ よく考えておくようにと言われるのでしょう
「あんなのが良いな」 「こんなのもドラマチックだな」
私も映画が好きなので 映画や小説をヒントに10も20もパターンを考えていくと
「実際は どれになるんだろう?」と その時が楽しみにすら思えてきました
そしてその時
私はどんな風であれるでしょうか?
「聖人は 生も死も超越し達観ている
賢人は その時が来ることを知っているので「ついに来たか」と覚悟ができている
常人は ただ恐れている」
とおっしゃっていました
その時が来るまでに
せめて賢人の域にまでは達していたいものです
ちなみに…
前記の立川談志師匠
理想の「ふとした病気」ではなく
声門がんを患われ
落語家がしゃべられなくなるわけにはいかないと声帯摘出手術を拒絶
壮絶な最後を遂げられたと聞きます
まったく 「死」とは思い通りにならないものですね…
帯津先生のお勧め通り
いくつものパターンの「理想の死に方」を考えておきましょう…
ですが談志師匠のことを思うと
「談志さんさぁ~ ふとした病気で亡くなったらしいよ~」と聞くより
「喋ることが仕事の噺家が 声帯だけは取りたくないと 最後まで病と闘かわれたそうだよ」と聞いた方が
「談志師匠らしい」という気がするのはわたくしだけでしょうか?
談志さんの あのアクの強さは 「フッと… 風のように…消える」 そんなキャラでは ないように思うのですが~(^^;)
そう考えると
「人の死とは
その人がどう生きたかによって
その人にふさわしい死に方が与えられるのではないか?」
「死は結果なのではないか?」 と思います
「死」は ただ与えられるだけで 自分ではどうにも出来ぬもの
(ただ うろたえぬ様 準備をしておくだけ)
では「生」は?
今日で…
そして今なのだから…
ある程度 どうにでも出来るんですよね~
「生」についてはまた次回
今日もYがお伝えいたします
先日の続き
帯津良一先生の「芦屋養生塾 あっぱれ、大往生」です
「生き方」を説く講演会は多いと思いますが
「死に方」について それも と~っても楽しくお話されるのが面白い♪
そして大変考えさせられるものでもありました
2時間に渡るお話でしたが お聞きになりたい方は
来年も開催されるそうですので是非ご参加ください!
http://japannaturopathy.org/
(私も 情報が入れば こちらで告知して行こうとは思っております)
さて ここでは 【往生(死ぬこと)】 と 【養生(生きること)】について
私の感想を書かせて頂きますね
タイトルにある「大往生」ですが
皆さんのイメージは どんなものでしょう?
平均年齢を適度に過ぎ
過度な延命治療で管やチューブだらけにされるよりは 自宅が良い
看病や医療費…家族に迷惑をかけたくないので治療期間は長過ぎず
けれど ほんの少しの覚悟や別れができるよう突然過ぎず
配偶者や子や孫に囲まれ
「幸せだったよ」などと最後に一言残すことができ……
そんな感じでしょうか?
でもそんな亡くなり方の出来る人は どれほど数少ないことでしょう
多くの方が病院で亡くなります
入院や介護・施設の問題は今や重要案件です
事故死は必ず突然です
「結婚や子供」は昔と違い 誰もが手にあるものでなくなりました
そういえば こんな話を家族や友達と あまりした事がありません
帯津先生いわく
「自分の死に方をよ~く考えておくように」 とのことでした
「それも一つじゃだめだよ~ 当たらないから~」(笑)
「いくつも考えておくと 死に直面した時
『あぁ…第3希望のヤツだったかぁ…』なんて思えるから~」
だそうです…(^^;)
映画がお好きだそうで
「カサブランカ」や「駅馬車」のラストシーンになぞらえて
「かっこいい最後」についてのお話をされ
帯津先生の「美学」みたいなものを垣間見ることもできました
また著書や雑誌、テレビで多くの方と対談されたご経験から
数々の著名人の… また、ご自身の「理想の死に方」についてもお聞かせ下さいました
中でも面白かったのが 落語の立川談志さんとの対談
談志師匠は「ガン」とか「脳梗塞」と言った たいそうな病気ではなく
「ふとした病気で死ねのがいい」とおしゃったそうですよ
らしいような らしくないような…?(^^;)
じゃぁ~ 帯津先生は?というと
「うちのアパートのエレベーターは小さいので遺体を横には出来ない
遺体を立てて運び出されるのはどうもね…」
だから ご自宅では死にたくないのだとおっしゃっていました(^^;)
道端で「のたれ死に」が良いのだそうです
また「行きつけの居酒屋ののれんの前で死んでいるのも良いねぇ」 なんておっしゃいます
すると談志師匠が
「それは へ~るめぇ~かい? け~るときかい?」と聞かれたそうです
(^▽^)d
江戸っ子ですねぇ~
かっこいいですねぇ~
通訳すると「入る前か 帰る時か?」ってことですが(笑)
「もちろん入る前だよ!」
「今日は何をあてに飲もう?」
「湯豆腐と……初ガツオは入っているかな?」と
戸口に手をかけたその刹那!バッタリと倒れるのが良いのだそうです(^^;)
「初ガツオ入ってるかな?」と考える その時の【ときめき】
これが命にとって とても大切なのだそうですが このお話はまた次回
(鰹 お好きな様で…。 その後のお食事会でもオーダーされていましたね)
また ご自分達が病院で行っておられる治療 それを
「所詮 途中経過でしかないのだ」とも おっしゃっていました
なぜなら たとえ病気を治したとしても… いずれは 死ぬからです
避けることなどできない…
だからこそ よく考えておくようにと言われるのでしょう
「あんなのが良いな」 「こんなのもドラマチックだな」
私も映画が好きなので 映画や小説をヒントに10も20もパターンを考えていくと
「実際は どれになるんだろう?」と その時が楽しみにすら思えてきました
そしてその時
私はどんな風であれるでしょうか?
「聖人は 生も死も超越し達観ている
賢人は その時が来ることを知っているので「ついに来たか」と覚悟ができている
常人は ただ恐れている」
とおっしゃっていました
その時が来るまでに
せめて賢人の域にまでは達していたいものです
ちなみに…
前記の立川談志師匠
理想の「ふとした病気」ではなく
声門がんを患われ
落語家がしゃべられなくなるわけにはいかないと声帯摘出手術を拒絶
壮絶な最後を遂げられたと聞きます
まったく 「死」とは思い通りにならないものですね…
帯津先生のお勧め通り
いくつものパターンの「理想の死に方」を考えておきましょう…
ですが談志師匠のことを思うと
「談志さんさぁ~ ふとした病気で亡くなったらしいよ~」と聞くより
「喋ることが仕事の噺家が 声帯だけは取りたくないと 最後まで病と闘かわれたそうだよ」と聞いた方が
「談志師匠らしい」という気がするのはわたくしだけでしょうか?
談志さんの あのアクの強さは 「フッと… 風のように…消える」 そんなキャラでは ないように思うのですが~(^^;)
そう考えると
「人の死とは
その人がどう生きたかによって
その人にふさわしい死に方が与えられるのではないか?」
「死は結果なのではないか?」 と思います
「死」は ただ与えられるだけで 自分ではどうにも出来ぬもの
(ただ うろたえぬ様 準備をしておくだけ)
では「生」は?
今日で…
そして今なのだから…
ある程度 どうにでも出来るんですよね~
「生」についてはまた次回